『本日のニュース』

おはようございます。コールセンター片倉です。
本日のニュースです。


【話題】

太宰、芥川賞懇願の手紙見つかる

作家の太宰治(1909~48年)が芥川賞選考委員の佐藤春夫(1892~1964年)に「私を助けて下さい」などと賞を懇願する長さ4メートル余りの毛筆の書簡など計3通が、東京都内の佐藤の遺族宅で見つかりました。

発見した実践女子大の河野龍也准教授(近代文学)は「駆けだし時代の太宰の芥川賞への思いを伝える貴重な資料」としています。

1通目は第1回芥川賞選考会の2か月前の1935年6月5日付で、当時は太宰が25歳、佐藤は43歳。無名だった太宰の初期作「道化の華」に注目した佐藤が「甚だおもしろく存じ候。無論及第点」と太宰の友人に感想を伝えたことへの礼状である。「命うれしくといふ言葉がふいと浮んで来ました」とお礼を述べ、「バンザイが口から出さうで、たまらない」。近く選考される賞を意識しているかのような文面でした。

しかし、第1回芥川賞では期待した「道化の華」でなく「逆行」が候補になり、落選。2通目は、その直後の同8月12日のはがきで文壇の重鎮、佐藤への初面会の約束を太宰が取りつけたことが、文面から今回確認されました。


【文化財】

平等寺裏板に仁王画

がん封じの寺として知られる平等寺(下京区)で、本尊を収める宮殿の裏板に2体の仁王が描かれているのが見つかりました。府教委の調査で、作者は明治期の京都画壇の重鎮・鈴木松年(1848~1918年)と判明。専門家は「松年の日本画の中でも際だって豪快で、貴重な作品」と評価しています。

平等寺は、平安貴族の橘行平たちばなのゆきひらが因幡国(現在の鳥取県)に赴いた際、夢に出た僧のお告げを元にお堂を建てると病が治ったことにちなみ、京に戻った1003年に建立されました。

薬師如来像を収める宮殿の裏側は長年、仏具などが置かれ、見えにくくなっていました。昨年12月末、住職らが宮殿の保存状態などを調べた際に、仁王が描かれているのを確認。修復の相談を受けた府教委文化財保護課の調査で、落款などから鈴木松年が1886年に描いた絵だと判明しました。

松年は幕末~明治期にかけて京都画壇で活躍。天龍寺(右京区)の天井画「蛟龍こうりゅう図」などを手がけ、豪放な人物や繊細な花鳥など、画題に応じて筆致を巧みに使い分け、弟子には女性として初めて文化勲章を受けた日本画家・上村松園がいます。
仁王画は、縦2・4メートル、横1・26メートルの裏板2枚に「阿吽あうん」の対をなして描かれており、墨で力強く輪郭が取られ、赤や金色の顔料で着色されていました。

今秋の京都非公開文化財特別公開(10月30日~11月8日)で披露され、特別公開は京都古文化保存協会の主催で、拝観料は一般800円、中学・高校生400円。収益は文化財の修復費に充てられます。


【話題】

松永安左ヱ門 生誕140年記念展

日本の電力事業の礎を築き、「電力王」と呼ばれた事業家・松永安左ヱ門(1875~1971年)の生誕140年を記念した特別展が、小田原市板橋の市郷土文化館分館「松永記念館」で開かれています。

長崎県生まれの松永は5大電力の一つだった東邦電力の設立者。戦時体制に伴い、電力会社が国家管理されると、埼玉県所沢市の別邸で茶人として隠居生活を送りました。

戦後は電力民営化を目指す連合国軍総司令部(GHQ)の意向を受けて、電気事業再編成審議会の会長に就任。全国9分割による民営化を目指し、国営温存派と対立しながら、GHQにも掛け合い、民営化を勝ち取りました。

民営化後、経営健全化のために電気料金の値上げを推し進め、「電力の鬼」とも呼ばれた。70歳を過ぎて温暖な小田原市に移り住み、59年に松永記念館を開館。電気事業の共同研究所や財界人による政策提言組織を設立し、生涯現役を貫きました。

特別展では資料やパネルで業績を紹介。27日まで。観覧料500円。19日午後9時からはNHK総合テレビで、松永を紹介するドラマ「鬼と呼ばれた男」が放映されます。



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