『スタッフブログ』

おはようございます。管理業務の佐々木です。

本日は2月29日で閏年。

4年に1度しかない貴重な日に、関東は今朝方から珍しく大雪です。電車、高速道路などは交通規制が入り、移動するのに少々難が生じている様子。皆様も外出する際は気を付けて下さいね。

 

突然ですが、私は寒いのがとても苦手です。

そんな極寒嫌いな私が気温差をもって楽しめる場所がございます。

それは・・・温泉の露天風呂♨♪

心地よいお湯の温度と雪が降り積もる外気温。その温度の差が激しく離れているほど私は大好きです。

嗅覚では乾燥している屋外に対して、硫黄匂いの湯気。

視覚ではいつもと違う雪景色。

触覚ですと入浴中から肌がスベスベになり

聴覚は深夜の露天がオススメです。静まり返った露天風呂は湧き出る流水の音だけがBGM、貸切状態の時は湯に浸かりながらゆっくりと読書をします。

味覚は身を温泉で清めてからご当地の旬の物を食べて帰ります。♨(*^_^*)

 

今年は・・・・・・今年も「草津温泉」に行ってきました。

私の温泉旅行は少しだけこだわりがございます。

選ぶポイント

①ホテルか旅館

②露天風呂があるか

③源泉であるか

④周辺の温泉環境

⑤泉質(硫黄臭が好みです)

⑥季節・春夏秋冬によっても宿泊先を変更。

それでも幸福はいつも自分の中にあるので、今まで失敗したという気持ちにはなった事がございません(^_^.)

 

 

 

草津温泉とは?草津温泉(くさつおんせん)とは、群馬県吾妻郡草津町(旧国上野国)にある温泉のことである。林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた、日本を代表する名泉の一つである

 

草津大辞典

【草津温泉の所在地】群馬県吾妻郡草津町

【草津温泉の泉質】草津温泉の湯は基本的には酸性泉(酸性低張性高温泉)である。場所(源泉)によっては硫黄泉なども見受けられる。酸性が強くpHは2前後である。この強酸性のために下流の品木ダムには酸性中和施設がある。適応症は皮膚病・神経痛・糖尿病ほか。

草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じていると考えられている。降ってから数ヶ月から数年の比較的新しい地下水が主体となっており、湧出量は直前の降水量の影響を強く受けている。また、白根山の山頂に近いほどpHが低く、含有成分も変わる。

【草津温泉の源泉】源泉は、公的に管理している大源泉が6つ存在するほか、ホテル等が所有している小源泉も多数存在する。自噴する温泉の湯量は極めて豊富であり、湯温も摂氏50-90度前後と高い。万代鉱温泉はラジエーターを使い高い湯温を下げて配湯している。時間湯では昔から草津節などを唄いながら木の板(湯もみ板と言う)で温泉をかき回し、湯温を下げるのが特徴的な「湯もみ」が行われる(現在も、観光客向けに実演する施設があるほか、2箇所の共同湯では湯治の一環として行われている)。ちなみに、草津節は草津温泉最古の共同風呂「鷲の湯」が発祥の地である。1975年に万代鉱源泉の利用及び町による管理配湯が始まってからは多くの小規模源泉が破棄された。

【湯畑】温泉街の中心部に湧く源泉で、周囲がロータリー状に整備されている。デザインは当時の町長のホテルに投宿した岡本太郎が手がけ、工事の際に昔の囲いは撤去された。湯が滝のように湧き出る光景は全国的にも数少なく、夜間のライトアップで湯畑を演出する催しも期間限定で行われ、観光客の目を楽しませている。最後の滝になって落ちる箇所には、かつて「大滝乃湯」(現在は町営温泉施設の名にされている)と呼ばれる共同湯があり、1960年頃に取り壊されるまでは草津で唯一、番台のある「滝の湯」があった。温泉街には熱の湯、地蔵(じぞう)の湯・白旗(しらはた)の湯・煮川(にかわ)の湯、千代の湯など大小様々の源泉がある。しかし、千代の湯源泉は当時の町長(上記同人)時代に取り壊された結果、源泉は町長の隣接する大阪屋旅館地下に湧出。そのため、その後は湯畑から引湯している。なお、湯畑をはじめとする草津温泉の各源泉には緑色の湯垢のようなものが散見されるが、それはイデユコゴメなどの温泉藻である。

【その他の源泉】

白旗の湯:白旗源泉
巽の湯:湯畑源泉
翁の湯:湯畑源泉
千代の湯:湯畑源泉
長寿の湯:湯畑源泉
白嶺の湯:湯畑源泉
千歳の湯:湯畑源泉
瑠璃の湯:湯畑源泉
睦の湯:湯畑源泉
喜美の湯:湯畑源泉
関の湯:湯畑源泉
煮川の湯:煮川源泉
地蔵の湯:地蔵源泉
凪の湯:西の河原源泉(以前は凪の湯源泉)
こぶしの湯:万代鉱源泉
恵の湯:万代鉱源泉
つつじの湯:万代鉱源泉
長栄の湯(旧町営の湯):万代鉱源泉

【草津の共同浴場】

白旗の湯:白旗源泉
巽の湯:湯畑源泉
翁の湯:湯畑源泉
千代の湯:湯畑源泉
長寿の湯:湯畑源泉
白嶺の湯:湯畑源泉
千歳の湯:湯畑源泉
瑠璃の湯:湯畑源泉
睦の湯:湯畑源泉
喜美の湯:湯畑源泉
関の湯:湯畑源泉
煮川の湯:煮川源泉
地蔵の湯:地蔵源泉
凪の湯:西の河原源泉(以前は凪の湯源泉)
こぶしの湯:万代鉱源泉
恵の湯:万代鉱源泉
つつじの湯:万代鉱源泉
長栄の湯(旧町営の湯):万代鉱源泉

【草津温泉の歴史】草津の名の由来は大般若経による。アイヌ語から。「くさうず(臭水)」が訛った。病にかかる枕詞「くさつつみ」から。等諸説ある。なお、日本武尊や行基、源頼朝が開湯したとの風説があるが、当時の史書に草津温泉を起想させる記述は見られず、草津温泉が湯治場として記録が見られるようになるのは室町時代後期あるいは戦国時代以後である。
草津温泉の直接史料での初出は文明4年(1472年)、蓮如が訪れたときのものであると言われているがこれは定かではない。しかしこの頃にはすでに全国に名の知れた湯治場となっていた。 戦国時代になると湯本氏が文献に多く登場し、草津の湯治客からとる湯銭を武田配下の真田氏に納めたり、草津や白根で採れる硫黄を戦国大名に贈っているほか、豊臣秀吉が徳川家康に草津入湯を勧めた書状なども伝わっている。なお、草津温泉の由緒として「吾妻鏡によると、建久4年(1193年)8月源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、木曾義仲の遺臣で義仲遺児を匿って草津に潜んでいた細野氏を見出し、湯本の姓を与えて草津の地頭とし、以後、湯本氏は温泉経営をもって北条・足利に仕えた」とよく云われているが、吾妻鏡にそのような記述は無い。 近在の人に自分の権利を認めさせるための作り話しであろう、と云う見解が研究者の見解。

江戸時代初期は真田氏の沼田藩、その後は天領として江戸幕府の直轄支配を受けている。湯本氏は沼田藩の家老として重用されていたが、後に本家は断絶させられてしまう。現在と比べて交通は不便にもかかわらず、湯治客で賑わいは年間1万人を超える数を記録している。近世を通じて60軒の湯宿があり、幕末には「草津千軒江戸構え」といわれたほど栄えていた。この「せんげん」は活火山白根山=浅間(せんげん)の麓に栄えた草津温泉と言う意味であるとする学説もある。草津温泉は泉質が強烈なため、湯治後に肌の手入れのために入る「草津の上がり湯」なる温泉として、四万温泉や沢渡温泉がある。
江戸時代初期は内湯はなく、湯宿は基本的に素泊まりだった。18世紀初頭になると、「かこい湯」「幕湯」という貸し切り湯の習慣ができ、のちに内湯が設けられるようになった。
明治時代、スウェーデンの人文学者ノルデンシェルトは草津訪問記を記し、その中で草津温泉には療養する病人が多く、草津はそれら病人によって成り立っており、病人たちが罹患しているのは梅毒やハンセン病(らい病)、脚気である、としている。お雇い外国人として来日したドイツ人医師エルヴィン・フォン・ベルツ、および宣教師コンウォール・リーによりハンセン病に効く湯治場としての地位が確立され、草津温泉郷にはハンセン病集落が出来ている。
大正期には軽井沢から軽便鉄道(草軽電気鉄道)が草津まで開通したほか、後に高崎・渋川などからバスも乗り入れるようになった。長野原線(現・吾妻線)が長野原駅(現・長野原草津口駅)まで開業したのは1946年(昭和21年)である。
中越大震災の際には草津の湯をタンク車で現地に輸送し、陸上自衛隊の野外の風呂設備にその湯を満たして被災者の慰問に役立てたとの事です。

 

どうでしたか?草津温泉に興味を持ちましたでしょうか?

旅心が深まりませんか?

私はブログを入力しながら気持ちは露天風呂に入っておりました。(ー_ー)♪♪

草津温泉はとても良い所です。

帰ってきたばかりですが、秋の紅葉には再訪問したく思います。

身も心もリフレッシュした私は良い仕事が出来そうです。

 

それでは本日もよろしくお願いいたします。

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