『スタッフブログ』

こんにちは。内勤事務担当の滝沢です。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

今回は、前回のスタッフブログの続きをご紹介したいと思います。

マカオ

正式名:中華人民共和国澳門特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称マカオ(澳門、葡: Macau、北京語拼音: Àomén アオメン、広東語注音: Ou3mun4 オウムン)は、中華人民共和国の特別行政区の一つ。中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル植民地で、現在はカジノと世界文化遺産を中心とした世界的な観光地としても知られる。

人口:54万人
面積:28.6平方キロメートル
公用語:広東語、ポルトガル語(中国語・北京語)
通貨:パタカ(香港ドルはマカオでも同率で使用可、その逆は不可)
時差:日本時間より1時間遅れです。(日本時間-1時間=マカオ時間)

パタカ(pataca:MOP)1パタカは100アボス(avos)
パタカと日本円の為替レート MOP1 = 約12円 (2010年1月現在)

香港から西南西へ約64km。
マカオは中国広東省の珠海市とつながる半島部分、そして南方へ橋でつながるタイパ島、さらに南方へやはり橋でつながったコロアン島からなります。
人口約54万人からなり、人種は95%が中華系、残りはポルトガル人やマカイエンサと呼ばれるポルトガル人との混血。

400年前からポルトガル人が居留していたため西洋的な歴史的な建造物も多く、年間を通じて多くの観光客が訪れます。日本人の観光客は1996年の約52万人をピークに減少傾向が続き、 2001年には約14万人。マカオと香港をつなぐ所要1時間の高速フェリーが24時間運行ということで、日本人観光客の多くは香港からの日帰り客になっています。

季節別の気候と服装

日本でいう夏(4月ー9月)
4月に入ると湿度が上がりはじめ、5月は台風の接近もあり雨が多く蒸し暑い日が続きます。一日中雨の日や、スコールのような短時間の雨もあります。4-5月あたりですと朝夕は冷え込む日もあります。ただ、この時期の晴れの日は日本と比べると日差しがかなり強いです。日差しよけの帽子や日焼止めクリーム、サングラス、日傘、などの対策があるといいと思います。日中は湿度の影響もあり、かなり暑く感じますよ。
適した服装としてですが、男性は汗をよく吸うコットンのTシャツやポロシャツなどがいいと思います。もちろん半そでです。湿度が高く、気温も高いので汗をかきやすいです。ズボンは薄い生地で風とおしの良いのものを選びましょう。
女性はワンピース一枚でも平気なほど暖かいので日本での夏服で平気なはずです。湿度が非常に高いので薄めの生地で風とおしの良いものを選びましょう。
ただ、ホテルやレストラン、カジノ、フェリーなどの室内は日本と比べると冷房がかなり強く効いているので、寒いです。屋外で汗をかき、屋内の冷房で風邪をひいたという話はよくありますので、羽織れるものは一枚用意するのがいいですよ。

日本でいう秋(10月ー12月)
10月中は蒸し暑い日もありますが、11月に入ると気温・湿度が下がり好天が続くことが多いです。朝夜の屋外では半そで寒い日もありますが、晴れの日の日中は特に過ごしやすい一日になるはずです。旅行をするには一番適した時期になります。12月後半になると肌寒い日も出てきます。街にはコートやジャンパーが売られだします。
適した服装ですが、10月ですと長袖のシャツや女性ならブラウスなど一枚でも平気ですが、まだ湿度がありますので長袖で暑い場合もあります。半そでの上から着れ、脱いだりも出来るシャツや薄手のジャケットなどで調度いいと思います。11月に入ると一日中スーツを着てても苦ではありません。12月は以外に冷え込む日もあるのと、暖房をあまり使わないことも併せて男性、女性ともにセーターやカーデガン、フリースなどがいいと思います。風の強い日は特に冷え込むので薄手のコートやジャケットが必要になります。かさばらない程度の上着を持っていくか現地調達なんかも面白いと思います。
この時期も日本と比べると屋外の日差しは強いので、日差しよけの帽子やサングラスがあるといいでしょう。
また、寒い日でもホテルやレストラン、カジノ、フェリーなどの屋内は冷房が強く効いている場合があります、それから宿泊するホテルには暖房がない場合がほとんどです。少し暖かめの室内着があるといいですよ。

日本でいう冬(1月ー3月)
最低気温が10度を下回る日は少ないのですが、寒い日は当然あります。亜熱帯性気候といっても寒いです。1月に入ると大陸から寒波が襲来することもあるため、ウールのセーターや厚手のジャケット、コートなども必要になり、街中ではダウンジャケットを着て歩いている人をよく見かけますよ。
適した服装としては、シャツの上にセーターやカーデガン、フリースなどを着て、さらにかさばらない程度のジャケットやコートがあると良いと思います。ズボンはが暑い生地のコールテンやウールのもの、女性でスカートをはく方はストッキングがあったほうがいいと思います。
日本の冬と比べると、それほど寒くなく比較的晴天の日も多いのですが、日本ほど暖房を使いません。むしろ使っていません。時には冷房さえ使っていますので、ホテルやレストラン、カジノ、フェリーなどの、室内で寒い思いをすることがよくあります。亜熱帯性気候だからといって薄着で来るのには、くれぐれもご注意ください。

観光に適した履き物   湿度が非常に高い国ですので、4-10月くらいまではブーツや革靴ですと、かなりムレます、ご注意ください。
ホテルやお買い物を中心にお考えの方は別ですが、観光スポット(世界遺産)は石畳の道路が多いのと、急な坂道が多いこと、歩いて回れる箇所が多いことから、かかとの高いピンヒールなどは観光に適していません。スニーカーやサンダルの方が適しています。
また、6月ー9月くらいになるとサンダル履きの人をよく見かけます。マカオの場合、カジノやレストランでのドレスコードの指定はあまり聞きませんが、一部サンダル履きでは入れないところもありますのでご注意ください。

持って行くのが、かさばることから現地調達をされる方もいると思います。
履き物の値段を日本と比べると、高級ブランドの物は税金がかからないので安いはずなんですが、定価表記や為替の影響で高い場合も時にあります。NIKEなどのスポーツブランドのスニーカーなども同じですね(例えば日本の販売価格1万円の物がマカオの販売価格1000ドルだった場合は、消費税がかかっても日本の方が安いです)。
ただ、ほとんどの高級ブランドがマカオ内に何店舗もあり、品数や店舗数はマカオの方が多い場合があるので日本に売ってない物なども見付かると思います。スニーカーなどは、円高だからといっても、日本のOUTLETなどでセール品を買う方が安く買えたり品数も多かったりします。
ただ、ローカルショップなんかに行くと話は別ですよ。女性物ですと100パタカくらいからミュールやパンプスなど売っています。男性物ですと300パタカくらいからブーツや革靴などが売っています。有名ブランドではありませんが、デザインは最先端の物もチラホラ、珍しい独特なものも見付かり種類も沢山ありますよ。

マカオの観光情報
マカオの面積は非常に小さく、28.6平方キロメートル、東京都の品川区とほぼ同じ面積です。半島部分からタイパ島を経由して~コロアン島までタクシーで移動したとしても、HK $70ほどなので、気軽にタクシーを使った観光が楽しめます。

亜熱帯性気候
亜熱帯(あねったい)とは、熱帯に次いで気温の高い地域のことだが、亜熱帯の定義として広く認められたものはなく、人や場合によってさまざまな意味合いで使われる。また、温帯に属する地域の中での最寒月(マカオでは1月ー3月)最低気温の平均 (平均気温ではない)が摂氏0度以下には下がらない地域であるとか、温帯であって年平均気温が18度以上である地域であるなどの定義がされることもある。

<歴史>

ポルトガル人が海路で中国に到達したのは1513年のことでした。1557年にポルトガルが明から居留権を得たことにより、マカオは、中国における唯一のヨーロッパ人居留地となりました。ただし、この時点ではマカオの領有権は中国にあり、中国がマカオに税関を設置するなど、主権は中国側が有していました。しばしば間違われるのですが、この時点ではまだマカオはポルトガルの植民地ではなかったのです。マカオは、日本が鎖国するまでは長崎との貿易で繁栄を極めていましたが、その後は明清交替期の動乱や、広東(広州)の対外開放により貿易港としてのマカオは次第に衰えていったのでした。

アヘン戦争の結果イギリスが香港島を獲得すると、ポルトガルも1845年マカオ自由港の成立を宣言して中国の税関官吏を追い出し、1848年、中国人による総督殺害事件を機に、タイパ島とコロアネ島を占領し、地租の支払いを停止し、マカオの行政権を取得。1887 年、ポルトガルは清朝との間で香港からの阿片密輸防止に協力する見返りとして「友好通商条約」を締結、ポルトガルのマカオに対する行政権が法的に確立。清朝はポルトガルがマカオを永久に占有し、第三国へ譲渡しないことを承認。これをもって、マカオがポルトガルの植民地となったのです。しかし、その時点ではすでに香港が繁栄しており、それによりマカオの貿易港としての地位は全く凋落してしまったのでした。

その後1941年に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、当時東南アジア全体を占領した日本とは交戦状態に入らなかったため、日本軍はマカオを占領せずに駐在武官を置くに止め、中立港として機能しましたが、中国本土から大量の難民が流れ込むことになりました。

その後、1949年には国共内戦に勝利した毛沢東によって中華人民共和国が設立され、中国共産党が中国本土を統治するようになったものの、マカオでは依然としてポルトガルの統治が続きました。しかし、文化大革命さなかの1966年に起きた中国系小学校増築のトラブルをめぐって起きた、中国系住民による暴動の鎮圧の際、ポルトガル軍警察が多数の住民を射殺したのでした。これに怒った中華人民共和国政府が、ポルトガル政府に対して事件の謝罪と以後の中国系住民による統治参加を要求したところ、ポルトガル政府はそれらの要求をほぼ全面的に呑み、以後中華人民共和国の影響力が増すことになりました。

オテロ・デ・カルバーリョ大尉率いる国軍左派による1974年4月25日のカーネーション革命の後に、ポルトガル政府は民主化され、全ての海外領土を放棄することになりました。その後1976年に、ポルトガル政府は新憲法において、マカオをそれまでの海外県から、「ポルトガル行政下にある領域」として再編成し、「マカオ組織章程」を制定、立法会も設置するなど、行政上及び経済上の自治を多くの点で認めました。その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続く形で、1987 年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印したことで、マカオの行政権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになったのでした。

この続きは次回へ(^_^)/。

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